花と私とエネルギー


私が感じたことをメモ書きするスピリチュアル日記です。
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無償の愛についての考察


体の調子が悪くなったとき、本当にいろいろなことを発見した。

その中の1つに、

「自分はそれ自身として良くなろうとする力がある」

ということがあった。

以前、このブログにエネルギーについての考察を書いたことがあったけれど、そのときに「海や大気を見ればわかるように、自然にはそれ自身で浄化しようとする動きがある」というようなことを書いたと思う。だから、自分自身もそれ自身で浄化しようとする動きがある、というようなことを書いていたような・・・。

でも、その時の私はオーラとか、もっと高次のレベルのエネルギーとかそういうことについて言っていて、肉体については頭では同じだろうとわかっていても、よく考えていなかった。でも、今回体の調子が悪くなったとき、肉体も同じだとわかった。

意識としての自分が、どんなに肉体を痛めつけようとも、そんなこと気にも留めずにバランスのとれた状態に戻ろうとするのだ。それに気づいたとき、「私はなんて自分に愛されているのだろう!これこそ、自分の自分に対する無償の愛だ!」と感動した。
一般に言われている、宇宙の無償の愛、ってこういうことなのかな!と思った。

ところで、「自分はそれ自身として良くなろうとする力がある」ということは、先日紹介した、野口 晴哉も同じようなことを言っていた。野口 晴哉の本を読む前に私も感じていたことだったので、「やっぱり誰でも同じ考えに至るんだなぁ」と、我ながら自分をアッパレと思った。(最終的にまた自画自賛)

「それ自身として良くなろうとする力」を利用して、心身の健康を取り戻し、促進する誰にでもできる方法を考案したのが野口 晴哉だが、その著書には病気とか健康とかいう考えは人間があとからつけたもの、というようなことが書いてあった。
病気と言っている状態は、体が自分のバランスを取り戻すための途中の状態のことであって、悪いわけじゃないというようなことだったかと思う。

私も「自分の自分に対する無償の愛」と感動したあと、ほどなくして、「愛ってなによ」とまたいつもの問いが沸いてきた。「愛」とか「Love」とかって言われていることって、私はわりと動詞的なイメージを持っていたんだけれど、最近は、もしかして、何かの状態を表しているのじゃないかと感じていた。

体の不調を通して、自分の中で「無償の愛」という状態がどういうものかわかったとき、「愛」とは何を表しているのか少しわかった気がした。それは、単なる「エネルギーの流れ」のことじゃないかと。「自分の自分に対する無償の愛」などというと、「私って愛されているんだ!」などとついつい、そこに動物的な意識が入ってきてしまうが、究極的にミクロに見ていくと、愛しているからブタれても起き上がってくるわけじゃない(と思う)。起き上がる仕組みになっているから、ブタれようが、切られようが、なじられようが、ねじられようが、起き上がってくるじゃないかな。

人は、そういう状態を「無償の愛」と名づけ、そう呼び始めたんじゃないかな。
最初は意味がわかってたけど、病気という言葉が一人歩きして当初の意味から離れえらく恐ろしいようなイメージになっていったように、無償の愛も最初にそう呼ばれたころの意味とは少し離れたのかもしれない。

自分自身を愛の存在にするためには、、、というよりも、この理論でいくと、自分自身は既に愛の存在だ。より自覚的に愛(流れるエネルギー)であるためには、

自分自身の中を流れるエネルギーを意識していること、
相手との関係でのエネルギーの流れに目覚めていること、
全体の単なる一部としての自分を受け容れること・・・これはつまり、全体の流れを感じること、といえるかな、全体に対してKYじゃダメってこと(^^、

・・・がポイントなのかなぁと思った。

書き終わって改めて見返すと、前にも同じことを書いた気がする!
でも理解度が違うのであしからず・・・。同じとこ回ってるな~。(^^;
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by mamemai | 2008-07-04 15:10 | スピリチュアルな考え事
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