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花と私とエネルギー


私が感じたことをメモ書きするスピリチュアル日記です。
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偶然じゃなくて必然です!についての考察

「すべては偶然じゃなくて必然です」

というのはよく耳にする言葉だけれど、「そうかもしれない」と思いつつ、それは「神の仕業」とかそういう意味にしか捉えられず、腹にイマイチ落ちてなかった。

昨日、「美しき大宇宙~統一理論への道」というTV番組を見た。アインシュタインの一般相対性理論と、量子力学を超えて、宇宙を表す統一理論(ひも理論とか)を探す、というような番組だった。

このとき統一理論の最有力候補としてあがっていたのが「ひも理論」。あまり良く理解してないけど、この世界には粒子よりもさらにずーっと小さいものが存在していて、それは粒子とか原子のような球体ではなくて、輪ゴムがブルブル振動しているようなものだ、という説だった。

ま、ひも理論自体についてはまだ全然よくわからないんだけど(というか、相対性理論も量子力学も詳しくないけど・・・)、そういう、現在認識されてないちいさーいモノがあるかもしれない、というのがわかった。

話は変わって、私は、誰かに助けを求められたり、何かを頼まれたりしたとき、「めんどくさー」と思ってやりたくないと思うのはなぜか、というのを昨日考えていた。

あさはかな理由としてあがったのは、「私でなきゃいけないわけではないから」。つまり、誰でもいいなら他の誰かに頼んで。ということ。必然性を感じないのだ。

そこでさっきの「ひも」などの話に戻ると、例えば分子は、くっつきやすい原子がくっついてできている。HとOとか。

人間も、実際は、分子・原子でできていて、もっといけば「ひも」の塊かもしれないものであるから、とすると、くっつきやすいものとくっつきにくいものがあるのではないか、と思った。

だから、A子さんに「お願い手伝って」と頼まれても、手伝う必然性を感じないが、B男に「ヘルプして」と言われたら、手伝おうという気になるのかもしれない。
A子には私にくっつきやすい「ひも」がないけど、B男にはあったということ。

でも、「どのHも、どのOともくっつく」ということはどう説明できるのか。人間にあてはめたことを原子にあてはめると、それぞれの「H」に、くっつきやすいそれぞれの「O」があるということになるから、あてはまらないような気がしてくる。だって、どれも同じH2Oだって思うじゃん。

でもどうだろう。「ひも」まで小さい視点にして「H」や「O」を見てみると、もしかしたら、今同じ「H2O」に見えているものも実はそれぞれちょっと違うのかもしれない。
大きくみると「人間」という種類だけど、白人、黒人、黄色人とかにわかれたり、男、女、そして、A子とB子がちょっと違うように。

そう考えると、私が今まで関わってきたこと、関わらざるを得なかったことは、すべて「くっつきやすい」とか「くっつきにくい」に導かれていたのかもしれないな~と考えた。
偶然じゃなくて、くっつく必然があったのだ。

そして、さらにいうと、「ひも」よりもさらに小さいレベルがあるとも考えられる。「ひも」ですら、6次元の世界にあるとも言われており、スピリチュアルワールドでいう「高次元」と関わってくるという説もあるのだから、「ひも」よりさらに小さいレベルであれば、それ自体が意思のようなものをもつかもしれないのだ。「ひも」でも意思をもってるかもしれないよな。

とすると、何らかの「意思」に作用してくっつきやすさとかくっつきにくさが生じている可能性があるということになる。つまり、ほしいものを強く思うとそれが手に入るという、スピリチュアルなワールドでは当然のように言われているあの理論と同じになる。

科学とスピリチュアルは相容れないようなイメージがあったけれど、お互いに道が違うだけで、同じところへ到達してしまうのかもしれないよな~。
すべての道はローマへ通ず(使い方違う?)だな!

・・・ていうか、これって常識?みんな知ってたこと?
いやーん。物理とか一回も勉強したことなかったから気づかなかった。(照)

by mamemai | 2006-03-24 18:37 | スピリチュアルな考え事
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