花と私とエネルギー


私が感じたことをメモ書きするスピリチュアル日記です。
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雑談


このところ、10年ぶりとか、そこまでいかないまでも結構数年ぶりの男性の友達に会う機会が頻発しました。

突然連絡があったり、ひょんなことで急に連絡したりと。。。
不思議です。

ひさーしぶりに会う彼らは、全く変わらず、10年という時を飛び越えて、つい先週会ったかのような自然な感じにすぐに戻れるのはステキなことですね。

あまりにも久しぶりだと、会わない間にお互いに起こった出来事を報告しているだけで2、3時間は過ぎてしまい、また会おう!と別れるものの、たぶんまた10年くらい会わないのかなぁと思ったり。

そんなこんなで先日、ほんと〜うにひょんなことで会うことになった昔の働いていた会社の同僚なのですが、当時から私と似ているところあるなと思っていましたがやっぱり似ていました。

改めて大人になって(老けて)相手を見てみると、自分も尊重し同時に相手も尊重するという気質がクリソツでした。(昭和的表現)

ややもすると、「協調性がない」と一般社会では表現されてしまうのですが、「あなたそれやりたいんだ。私はこれやりたいの。じゃ、それぞれ好きな事やろっか。」というこの態度は決して協調性がないのではなく、究極的に自由な在り方に根ざしたものであると言って欲しい!

そんなところが似ていた彼ですが、数年前に結婚したそうで。
「結婚どうよ。」と聞いてみると、「オススメしない」という返事。。。
誰か私に結婚をススメる人はいないもんかねぇ。大概「オススメしない」と言われます。

ましてや今回は「あんたにはたぶん無理。」と言われ、「やっぱり?」と聞くと「わかるでしょ。」と言われる始末。「一人がいいよ。(俺も一人がいいもん。)」と、一人でいることを強く勧められました。
どんだけだよっ!自分結婚してるくせによ〜。

ま、うすうす気づいているのでいんですけど・・・。
私のことを良く知っている人にここまではっきり「オススメしない」と断言されると参考になります。

それはさておき、久しぶりに会った彼に「あんたやっぱり頭いい」と言われ、なんだかとても嬉しかったです。「やっぱりってどーゆーことだい?」と聞くと、昔も「コイツは頭が良さそうだ」と思ってくれていたらしいのですが、”改めて”そう思ってくれたようでした。
やっと気づいたか。ワッハッハ。
私のスピリチュアル理論をクドクド説明した甲斐があった。
私にとってはよく言われる褒め言葉ですが、気心知れた人に言われると一段とうれしいものですね。


ま、頭なんて良くたって何の得にもなりませんけど。
顔が良い方が得だろうなぁ〜。
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# by mamemai | 2010-04-20 22:48 | もわわん

恐れ、不安、罪悪感、競争心をひとつまみ


恐れや不安、罪悪感に、競争心。

これらは楽に生きていくのを邪魔するものとして有名で、スピリチュアルなことを学び始めると、大体すぐに「恐れを取り除こう」などという文にブチあたります。

私もこれに依存はなく、熱心にこれらを心から取り除いてきたところ、これらの気持ちを通常の生活ではあまり感じなくなってきました。

・・・するとどうなるか。

私の場合は、・・・何もしなくなりました。
何かをする必要性を感じないからですね。

裏を返すと、何かをする必要性を感じていたから今までアレコレ勉強したり、もがいたり、がんばってきたみたいです。
自分には何かが足りないとか、このままでは将来どうなるかわからないとか、アイツだけには負けたくないとか、そんな気持ちが「何か」をやらならければ解決できないのだ、という動機になりいろいろやったわけです。
でも今は、それらの気持ちがないので、動機もなし。

恐れや不安などの気持ちを動機とせず、自発的に起こってくる衝動に従い活動する。
そんな風なことが理想ですが、しかし、今の私は自発的にやりたい!と思うことがない時期のようで、そうなると人生はヒマそのもので時間をつぶすのに大変なわけですね。

まー、このまま自発的に何かのやる気が起きてくるまでじっと待っていてもいいのですが、体もなまっちゃうしな〜・・・ということで、考え出したのが、罪悪感を使うことです。

恐れとか不安、競争心っていうのは一度ある程度解決してしまうと、新たに創りだそうとしてもなかなか難しいですが、ちょっとした罪悪感くらいなら、割とすぐに出て来ます。私の場合は。

ということで、まずは体を動かしたいよねと思い、あまり必要ありませんでしたが、ヨガマットを買ってみました。
必要ないものを買うことにより生まれたプチ罪悪感。買っちゃったんだから、少しは使わないと・・・という気持ち。
うっかりすると、このささやかな気持ちも一吹きで消えてしまいそうですが、そっと燃えたたせ、「なんてことしたんだ!無駄だ!」ぐらいまで持っていき、「何かに使わなければ」という感じで、ヨガマットを使って運動する、という感じに少しなりました。

しかし、あまりにもささやかな罪悪感だったため、今にも消えそうです!

ということで、行こうとは思っているものの、まだ予定も決めてないのに、屋久島に行ったときの装備を少し揃えてみました。
これには自分も「やりすぎだろ!」と思いましたが、やはりここまでやると、何が何でも屋久島に行ってやる!という気持ちに少しなってきました。

恐れや不安、罪悪感、競争心などは邪魔なものとして取り扱われることが多いですが、時にはこういうものがあってこそ、人が何かに向かって突っ走る原動力になるのじゃないかな〜と思います。
私がここまで勉強してこれたのも、これらの気持ちがモリモリあったからで、今のようなまったりした気持ちでは決してここまで成し得なかったろうと思います。

なので、まだ日常的に恐れや不安などの気持ちに包まれている方は、それをうまく使ってみるといいと思います。

なーんて、その渦中にいるときはそんな風に思えないでしょうけれど。
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# by mamemai | 2010-04-04 11:31 | スピリチュアルな考え事

まだ考えている


前回、、、といってももう結構前になっちゃいましたが、縛られるのが嫌いな自由人であると書きましたが・・・。
先日知り合いの四柱推命を勉強中の方が私を見てくれたのですが、なんと!
「自分本位」の生まれの方、、、と言われました。。。
道理で!協調性ない、とか出るわけだね!あー、生まれた質がこうなんだから、気にせず自分本位でやっていくことにしようと心に決めた今日この頃でした。


さて、相も変わらず、まだ、豊かさと格闘中です。

しかし、何も成果がないわけではなく、少しずつ、なんだか、変わってきています。何かが・・・。

まず、最近気づいたのは、私は「金(マネー)」第一主義だと自分のことを思っていましたが、どうやらそうではないようでした。口で言っている優先順位と心の優先順位が違うというのは良く言うことですが、自分もそうでした。

口では、金がなきゃ何もできねー、と言っていたものの、「お金をどれだけもらっても譲れないものがある」ということがわかってきました。

その1つは、「自分の時間」です。

どんなにお金をもらっても、それに時間を使いたくなければ絶対に使わないのが私でした。例えば、奢るからごはん行こうよ、と言われても、そんなことに私の貴重な時間をさけない、と思ったらお断りしちゃうわけですね。
どんなにステキなものをごちそうする、と言われても。

でも、さらに言えば、「気がのらない」というのがそこに時間を使いたくない理由であったりするわけですが、どうして気がのらないか、というのは「気」のみぞ知る、という感じでわかりません。ほんと、そのときの気分によるって感じです。

時間って、4次元の世界でしたっけ?とにかく、「もの」じゃないという感覚があったため、時間は自分の自由にならないもの、と思っていました。
そう思っていたせいで、私の時間は、誰かの都合で使われてしまうことが多かったように思います。自分の時間を自分のものにしていなかったわけですね。なので早速、時間の次元もしっかり自分の一部として取り入れました。

なので、何かが・・・変わって来ている気がする。
気分的なものかもしれませんけど。


なんだかまだまだ掴みきれませんが、豊かさって、自分の内側の世界がどれだけのものか、っていうことに関係しているように思います。
心象風景っていうのとはちょっと違うかもしれませんが、心の中にある森がどれだけ豊かか、ということにより、外側の目に見える世界に豊かさが反映されているような。。。
結局そうなると、豊かさも心の持ち様ってことになっちゃいますけどね・・・。それもくやしいね。

家では私が豊かさについて考え中であることは明かしていませんが、霊感及び直観が強いと思われる母は、最近なぜか豊かさについての話を私にしてきます。自分が体験した豊かさを感じたエピソードとか、いろいろ。頼んでないのに・・・。
エネルギーを無意識に読み取って、話してるのかな〜。
それともエネルギーが似すぎているため、やっぱり母も同じところにいるのかなぁ〜、とか思っちゃいました。
シンクロニシティですな。
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# by mamemai | 2010-04-02 00:28 | もわわん

8に囲まれて・・・春


いや〜、私にとって今年はヌメロのナンバーが8となる年。
豊かさ、パワーについての年です。何回も言ってますけど。

ということで、、、このエネルギーに慣れない。。。どうやら8のエネルギーに慣れないわけで。
私のピナクルナンバーと言われるものも現在8で、8がテーマの時期の8の年ということでダブル8。このパワーたるや・・・。慣れない・・・。私自身の持つナンバーには8が少ないせいもあるのかと・・・。
でも、いよいよ8と直面しなければいけないらしく、私の母は8ばっかりの人なのですが、このたび会社で一緒のチームでパートナーとして仕事をすることになった人の誕生数が8ということが判明しました。
に、逃げられない・・・。家でも会社でも・・・。

去年の7のときには、自己探求や超越というテーマらしきことがしょっぱなからいろいろあったわけですが、8についてはなんだかよくわからん!

でも、おそらくこれは8がらみ・・・ということと格闘しています。もう長いこと。。。

それは何かというと「自由とは何か」というテーマについてです。
私は、私のことをよく知らない人からも「自由人」と言われるほど、周囲からは自由な発想や行動力を持った人と思われています。
どんな性格診断テストでも「協調性に欠ける」と出ることからも明らかです(笑)

私自身も日常的に誰かに縛られているといった感覚はあまりないのですが、一方「誰かや何かに縛られそうになる」ことについて尋常じゃない抵抗を感じます。

最近、「縛られそうになる」と感じることが何回かあり、その度に反発していたのですが、ふと、「なんか異常に反応している気がする」と思ったのです。何もこんなに抵抗しなくても、、、と我ながら感じたわけですね。

ということで、「自由」に関することに手をつけ始めたら、さ〜大変。結構でっかい原因があったようで、一気にでかい成長期に。やっと成長期抜けたはずだったのに・・・。

この自由に関する問題は、なんとなく私の豊かさについての価値観に関係しているようにも思います。
なのでせっせとがんばっていますが、自分の中の抵抗が強くて。。。
なかなか変われない。。ひ〜っ!たーすーけーてー。

みなさまも自由について考えたことありますか?
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# by mamemai | 2010-03-14 14:35 | スピリチュアルな考え事

のどのチャクラが成長期か



果たして10日に水星が水瓶座に移って来たせいなのか、それとも、スロートチャクラの成長期が一段落したせいなのか・・・。
やっと書きたいことが、というか、かけるようになってきた。
書きたいことは山ほどあったんですが、浮かんでは消え浮かんでは消えしていて考えがまとまらなかったんですね〜。あるある、そういうこと。

スロートチャクラが成長期、、、とは年末からなんとはなしに思っていたことですが、激しい成長期というよりは、まったりした成長期だったため、もたもたと問題に向き合っていたため、なかなか脱せず(爆)

私に今何が起こっているか。

というと、スローとチャクラだけに、クリエイティビティとコミュニケーションに何かが起こっています。どう変わろうとしているかもぼんやり見え始めてはきているところです。

クリエイティビティについては割と簡単でよくある感じ。「モノマネは止めよう」っていうやつです。何かの影響を知らず知らずのうちに受けていたり、誰かのことが好きだったりすると、どうしても「似たもの」ができあがってしまうのですが、なんだかそれでは満足できなくなってきました。
「似たもの」であっても自分の中から出て来ているものであるので、それが「他人のもの」というわけではないですが、私の中にある「表現されたいもの」を表現はできてないな〜と思うわけで。もっと試行錯誤しなきゃ!宮崎駿みたいにさ!と思ったわけです。
でも、モノマネを止めようとすると、ぽっかり自分の中にスペースができてしまって、泉から何かが湧き出てくるまで待っている、というところですね。

コミュニケーションについては、前回ブログに書いたことと似ているのですが、やっぱりこれまでの私は「押し付けがましかった!」と思う次第で。最近、そういう押し付けがましい話をしたあとは、大変喉が疲れていることに気づいたんですね。だから、「きっと何かが違うんだわ!」と思い、よくよく考えてみました。

私のコミュニケーション方法を森に例えると(なんで森!?)、、、
これまでは、私の森に入って来ようと覗き込んでいる人がいると「あ!ちょっとアナタ!興味あるのね!」とその人の手をムンズと掴んで森の中へ引き込み、聞かれてもいないのに、「なんてったって、この森の良いところはね、大きな木が多いところ。見て!この木漏れ日具合!最高でしょ!」と一押しポイントの説明をしてしまう。
相手が、道ばたの小さな花に目をやったりすれば、「あ!気づいちゃった!?その花は〜、じ・つ・は!こういう意味があるの!深いでしょ〜!演出なの〜」とか言って相手の感受性に踏み込み、感じる余地を与えません。
すると、最後に私の森に興味を持ってくれた人は「あなたの森がすごいのはよくわかりました。この森にきて大変いろいろなことがわかり、自分のためになりました。」と、ちっとも楽しそうじゃなく、頭が混乱した雰囲気で森を後にするわけです。

・・・これではダメ!

なのでこれから、森は森としてただオープンにそこにいるだけにします。森をどう楽しもうが、森のどの部分を気に入ってくれようが、それは森には関係ない。お好きに楽しんで。って感じです。

悶絶!黙ってるって、ただ居るって忍耐!
でも少しこういうことを知る時期に来ているようです。
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# by mamemai | 2010-02-13 14:25 | もわわん

黙して語らず


先日、社会人適性テストのようなものをやりました。たくさんの質問に回答していくことで、もともとの性格や現在の行動傾向などが出てくるものです。

1年くらい前に同じテストをやったことがあったのですが、まーそのときと全く同じだったのが「協調性」の低さ(笑)
もう少し他人に合わせてみましょう的なアドバイスをいただきました。

協調性の低さは今に始まったことではなく幼い頃から通信簿によく書かれていたことなので私にとっては大変なじみ深いフレーズです。
かつては、協調性がないことをとても気にしていましたが、今ではこの極端に低い協調性を自分の強みとして捉えています。だって、こんな人珍しいもん。

性格のところに書かれていたことで大変興味深かったのが、「自分への信頼度」が高く「自分の価値観」の中で生きている、という内容です。

「社会人適性テスト」としては、上記が強く出過ぎているのはマイナスである部分もあるようで、協調性の項目と同じように「時には他人に合わせることも大事」というようなアドバイスが書かれていました。

また、「いろいろなことに好奇心旺盛なのは良いが、執着心がないため興味がなくなると次から次へと気がうつり、ひとつのことをやり続ける粘り強さにかけるとも思われる」的なことが書かれていました。

注意や警告風のことばかり書かれている診断なので、ややもすると「全然ダメ子だわ」と受け取りがちですが、すっと一歩下がってみてみると、「自分への信頼度が高い」ことも「自分の価値観」を何より大切にしていることも、「好奇心旺盛で執着心がない」ことも、別に悪いことじゃないなぁ、と思います。

ただ一般的な企業での社会性や適性度は「低」かもしれませんが・・・(微笑)。

長年、自分への信頼度が低だった私ですが、昨年の自己探求の成果により、とうとう自分への信頼度が高いと診断されるに至りました!やったね!

とはいえ、スピリチュアルな生き方とあまり縁がない人たちからしたら、私のこの「自信」は、時には単なる傲慢やエゴに見えるらしく、また何を言ってもなびかない盲目的な宗教心にも写るようです。

だからあんまりおおっぴらにこの「自信」を全面に出さない方がよいのだなぁと思いました。
今後は、黙して語らず、、、ですな。
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# by mamemai | 2010-02-07 00:43 | もわわん

和音


「友人」や「仲間」とはどういうことなのか・・・ということに関しては、どうやら私の課題のひとつらしい。

昨年異動になって今働いている部門は、以前までいたところとは全く違う雰囲気のところ。
一言でいうと、「みんな仲間」という感覚のするところだ。
その前までいたところも、いざこざがあったとか、みんなの仲が悪かったというわけではないが、今とは少し違う。以前は都会的なつきあい、って感じかな。今は少し田舎の村みたいな感じ。

・・・といっても私は都会っ子なので、実際の田舎の村がこんな風なのかはよくわからないけれど・・・あくまでイメージで(笑)

とにかくみんな仲間って感じだし、もっといえば遠い親戚くらいの感じだ。

私は最初こういう関係性に面食らって、一人が好きで自由を愛する私がこんな中に入って行けるのかな〜と思っていたけれど、こっちが入って行くとか入って行けないとかブツブツ考えている間に、向こうからワッとやってきて知らないうちに「一員」になっていた。
これこそ、田舎の村人たちと思う所以だ。

「なんもなんも!さあ食べていきんさい!」という感じで「え・・・でも・・・」とモジモジしている私の小さな声が聞こえない感じで、どんどん家の中へ入れられて、食卓の席のひとつにドカッと座らせれて、なんか知らないうちに一緒にごはん食べちゃって、「ふとん敷いたから泊まっていきんさい!mameちゃん!」とか言われちゃってる感じ。

強引だけど、変に気を使って遠慮する必要もなく、ただ好きなようにしてればいい感じで、非常に心地よい。そんな感じ。

でも私はそういうのに慣れていなかったので、「とはいえ、私は元々ここの人間じゃないし」という感じがあり、心の中では仲間になかなか入っていけてなかったんです。

この週末に、なんだかモヤモヤした気分だったので、ふとフラワーエッセンスでも飲んでみようかなと思いました。ですが、自分のために選ぶのがめんどくさかったので(医者の不養生的な!?)、昨年末の「ハートを開くワークショップ」で使うために作ったエッセンスが残っていたのでそれを飲んでみました。飲用に薄めてない原液だったので酒が舌にしみる〜って感じで(^^

そんな感じで飲んでみたエッセンスがものすごい効いちゃったみたいで・・・。その夜は自分が「輪に入れない」原因がどんどん出て来て泣きながら瞑想。(それでも瞑想しているところが我ながらMだと思う)

泣きながら瞑想したおかげで、だいぶ「仲間」や「友達」に関する考え方がまた一歩前進した模様。

何回も浄化したものの、やっぱり心の深くにまだ根づいていたこととのひとつに「仲間、友達になる = 彼らの波動に合わせる」という考えがありました。

「波動は高く保つもの」・・・ということと、「友達や仲間の波動に合わせる」というのは私の中では矛盾していたわけです。
ところが、ピピっと浮かんだのは和音。ちょっと違う音域のままでも彼らと合わせることはできるわけです。ハーモニーを作ることはできるんだ!とわかったんです。そしてもっと言えば、ちょっとおかしな音や和音から外した音を出しても、それを楽しんで演奏すればそれさえもひとつの曲になるんだと。

すばらしい!
「世に言う和音だけが正しいハーモニーなんておかしい」
この考え方は学生時代に坂本龍一の特別講義を受ける機会があり、そのときに彼から聞いたことです。龍一見たさに参加しただけだったけど、あー、無駄なことってないのね。人生に。
私が幼少のころ一瞬だけ楽器を習っていたこともここで役立った(^^

ということで、そうなるとつまりどうなるかっていうと、、、。
自分のままでそこに居ればいいってこと。
ただ今を楽しめばいいってこと。

やっぱりこれなんだなぁ。
やっぱりこれなんだ。





・・・そして、飲んだエッセンスの中に入っていたフラワーエッセンスのメッセージ通りの結論になってるな。
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# by mamemai | 2010-01-24 14:04 | もわわん

脳かオーラか



フェイシャルリフレクソロジーコースのネタ探しにネットをうろちょろしていると、いろいろな癒し系サロンのサイトに出くわします。

どんな感じかな〜と見て回っていると、まー、大抵のセラピストが、「好きなこと」とか「趣味」のところに、

自然、フラ、数秘、ヨガ、旅・・・

なんていうことが書かれていて、なんていうかこう・・・イラっとしますね!

自分の好きなものと全く同じっていうところが、ワンパターンを嫌う水瓶座の私にとっては、没個性な感じで本当に嫌な感じなんです。

女は大体とある年齢以降はこういう癒し系の方向に行くんですかね〜。みんな同じものが好きで、興味ありだよ。こわっ!

好きなもの・・・肉(レア)、ジェットコースター、DS

とかあっても可だね。

そういう意味では、私の好きなものをあげるとすると・・・

ふかふかのふとん、ふわふわの毛布、アツアツのみそ汁、森、苔

・・・くうねるあそぶ(古い)系。サロンのプロフィール欄に書くようなことでもないな・・・。


さて、愚痴はこの程度にして、脳かオーラかの議論へ。

フェイシャルリフレクソロジーを勉強して、神経や経絡に働きかけることによって肉体はもちろん、感情的な滞りを取り除いたり古いパターンから解放されるのを知ると、その前に勉強したオーラの中にパターンや原因がある、というのは何だったんだろう、と思うわけです。

結局は脳のプログラムを変更しているだけなんじゃないかと。せいぜいオーラリーダーは、脳の状態が発している電気エネルギーの状態を解読できるというだけなんじゃないかと思うわけです。つまり、オーラに対してヒーリングするよりも脳に対してアプローチするほうが早いのではないかと思う訳ですね。

おそらく、今生、胎児のときからの人生においてのうえつけられたパターンや感情的、精神的な滞りは、脳にアプローチした方が早いんじゃないかな。ただ、脳にアプローチといっても、「○○の経絡に滞りがある」ということは触ってわかったとしても、「なぜ滞っているのか」とか「なぜそういうパターンで脳がプログラムされているのか」ということは、その部分の発している電気エネルギーとか気をリーディングする必要がある(知りたければですけど)、といったところでしょうか。

ではどうやって脳にプログラムが作られていくか、といえば、当然外部からの刺激ですよね。それが肉体的なものであれ、エネルギー的なものであれ。

パブロフの犬のように何回か繰り返されることによりプログラムされたり、あるいは強烈な1度の経験でバシッと脳内に入り込む可能性もあるんでしょうね。

「パブロフタイプの経験」の場合は、最初の方は刺激は脳に達せず、オーラや刺激を受けた周囲の細胞程度に留まっているものの、繰り返されることにより、オーラ等が保持していた波動が脳に浸透していくといった感じでしょうか。

また、「強烈な1度の経験」の場合は、おそらく、波動がすごいため、オーラからすぐに脳内に伝わるのではないでしょうかね。

よく、過去生の情報を保持したままエネルギー体が産まれるときに肉体と紐づくと言われていますが、ということはそのときの脳にはまだ過去生で作られたパターンは浸透していないのかもしれません。エネルギー体と肉体が紐づいたときにしばらくすると、エネルギー体が持っていた波動が当然肉体に浸透するでしょうから、脳に今生では経験していなかったはずのパターンが組み込まれているのではないかと思います。

また、遺伝的なパターンについては、精子や卵子が持つ父や母の持っている波動がそのままひとつの細胞を創る訳ですから、やはり脳内にパターンとして組み込まれているのかもな、と思います。
祖父、祖母、そのまた祖父や祖母についても同じような形で引き継がれて来ていると思うので、そういうわけで自分には先祖代々のパターンや思いが引き継がれているということになるでしょう。

ということで考えると、長く持ち続けているパターンは脳とオーラ両方にあると思われ、よって、どちらか一方というよりも両方に働きかけた方が効果的なのかなぁと思ったりしています。

脳脳いっていますが、細胞なんかにも当然情報やパターンは保持されています。ですが脳が指令を出しているので、そういった意味でも脳に働きかけると早いのかなと感じています。
フェイシャルリフレクソロジーでは、何かに対して働きかけたい場合は少なくとも週1回のトリートメントをしばらく行うように、とされています。単なるリフレッシュだったら週1で行う必要は当然ありません。この「週1」問題も、なぜだろう、と思っていたんですが、脳のプログラムを変更することはもしかしたら1回でできているかもしれませんが、細胞などからのパターン返しがあって、脳のプログラムが元に戻ってしまうからなのかなぁと思いました。末端の細胞にまで新プログラムが浸透するまで、定期的に働きかけようということなのでしょう。

とはいえ、脊椎に問題があるとせっかくの指令も末端に届かないので、脊椎への働きかけも必要になってくるわけです。というか、むしろ脊椎が重要です。脊椎に詰まりやゆがみがなければ、そもそも偏ったり滞ったりしないと言われていますから。脳に直接障害が発生した場合は別ですが。

・・・なのでやっぱり、今年は脊椎に働きかけるニューロフットリフレクソロジーを少し勉強しようかな〜と思っています。
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# by mamemai | 2010-01-17 16:07 | もわわん

8のエネルギーへ



しつこいですけれど、2009年は私にとって数秘では「7」の年でした。
「7」は超越、自己の探求のということで、なんだかんだと自分というものについて深く知ることができた良い年でした。

ヌメロロジーリーディングでお世話になっているエリ佳さんと私は同じ誕生数のため、年のナンバーも同じなんです。なので、エリ佳さんから「2010年は私たち8の年!豊かさとパワーの年ですね!」とメールがきました。

エリ佳さんは私より誕生日が早いので、年末既に8モードに入っていると言っていましたが、私はまだまだ7のエネルギーが残っているなぁ・・・8なんて見えてこねぇぞ〜い!という感じでした。

が、年も明け、みんなが働き始めた頃、私にもようやく8のエネルギーの姿が向こうの方に見えてきました(笑)

というのも、まだまだ7のエネルギーの追い込みと格闘していた私ですが、モンモンとしていた自分というものがまとっていた数々の思い込みをとっていき、シンプルな自分に戻っていくなかで、ふと、「これって本当の豊かさとはなんぞや、っていうことだな〜」と感じるところがあったからです。

自分像を創り上げて来た、あるいは「とある自分」であることにこだわりを持たせていた固定観念がはずれると、自分が大事だと思っていたものや、価値があると思っていたものが、「おや?どうでもよいもの?」と変化したりします。

そうすると、案外、大切なことや自分がハッピーでホクホクした気持ちでいられるようにしてくれるものは、シンプルで誰でも持っているものだったりしました。

今年はこんな感じで「豊かさ」について多くを学ぶことになるんでしょうなぁ。そして、そうすることで「パワー」を取り戻すんでしょうねぇ。

停滞しないように頑張ろ・・・
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# by mamemai | 2010-01-06 23:08 | もわわん

愛するものを救うため


あけましておめでとうございます!
このブログを始めて何年になりますでしょうか。
そんな気はありませんでしたが、案外続いています。そんなもんでしょう。
気が抜けている方が続くもんでしょう。


元旦・・・。皆さんのブログを徘徊していると・・・。

やべ。今日、満月じゃね?

と気づきました。
そういえば、今年の手帳に選んだ鏡リュウジの手帳にも、元旦は満月だから、1年の抱負を考えるべし・・・と書かれていたんだった!と思い、今年の初瞑想をしました。

んが・・・抱負が思いつく以前に、すごい画像をオーラの中に見つけてしまいました。

それは、「愛するものを救えなければ意味がない」という画像です。

似たような正義系画像を以前にも処理したような気がしますが・・・。まだありました!処理しきれておらず!

この

「愛するものを救えないなら、なぜ自分がいるのだ!」

という信念、、、いったい、いつ、どこで、植え付けられたものでしょうか。
これが画像というか、植え付けられたエネルギーだとわかるまで、相当の時間を要しましたよ。ホント。とんだ責任のエネルギーだべ。

しっかし、このエネルギーを自分のオーラの中に見つけて、つくづく思ったのが、「意識と無意識の間には相当の誤差がある」ということ。

だって、このところの私が口酸っぱく言っていたのは、

「自分しか自分を癒すことはできない」

ということでしたから(^^ 
みなさんも目にタコができるほどこの文句を見たことでしょう。

自分しか癒せねぇ・・・とか言いながら、言ってる本人のオーラの中には、「大切な人を苦しみから救い出すことができないヤツは無力」という画像がどーんと存在していた訳です。
自己矛盾ですな。ワッハッハ。

年末に急遽最終回になってしまった海外TVドラマ「魔術師マーリン」で、偉大な魔法使いの卵であるマーリンは「愛する人を救えないなんて、こんな力を持っていても意味がない!」としょっちゅう言っていました。

そうだそうだ!

とか思いながら観ていたわけですが、そうじゃありませんでした。TVの話を真に受けてちゃダメですよ。

実際は魔術師マーリンの力を以てしてでも、本当の意味で自分以外の誰かを救うことなどできないんだと思うんです。救えるのはあくまで自分だけです。外野の者たちができるのは、精一杯サポートすることです。

誰かが自分で立ち直ることをしないのを外側から見ているのは時につらいことです。
でもだからといって、自分が無力だから相手が立ち直れないのだと思うのは間違いでした。

自分のできることをする、それで良いのだ!

と元旦瞑想で発見したのでした。
良かった良かった。
これでまた気楽な生活に近づいたな〜。

気楽な生活に近づいたところで、今年の目標。というよりもこんな年にしたいイメージがムクムクと。。。

1年の大半をいい男たちに囲まれて過ごす(これが1番めかよ!)
くだらなすぎて腹がよじれるほど笑うおもしろ毎日を送る
カラフルを心がける
自分の中にある世界を深く広いものにする

LOVE&HUMOR

ですな。
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# by mamemai | 2010-01-01 19:13 | スピリチュアルな考え事