花と私とエネルギー


私が感じたことをメモ書きするスピリチュアル日記です。
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<   2009年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧


病気についての考察



ようやく「はじめて出会う細胞の分子生物学」を読み終わった。
文系の私にもまあまあわかりやすかった。

「生物と無生物のあいだ」を読んで、分子生物学というのを知り、上記の本を読むまでに至ったわけですが、この本を読んで兼ねてより何かある・・・と思っていたたんぱく質についても少し知ることができました。

結局どういう内容かというと、超ざっくりいうと、「まだ細胞についてもたんぱく質についてもよくわかってないことが多い」ということでした。(そんなこと!?)

わからないなりにわかりかけている部分としては、細胞やたんぱく質、代謝系等は、なんらかの信号を受けて、すばらしい正確さで仕事をする、ということ。
なんらかの信号とは、外部からの刺激とかだったりします。

どうして間違えずに仕事ができるのか、間違ってもちゃんと修正できるのか、についてはまだまだわかっていないみたいです。

にしても、最後の方に書いてあった細胞死について、非常に興味深かったです。
この本は2006年発行みたいですから、2006年当時の情報で書かれているのですが、細胞死には壊死とアポトーシスという2種類あるとありました。
簡単に言うと、壊死は事故死みたいなもので細胞が壊れて死ぬこと、アポトーシスは自殺とされていますが、要するに自然に死んでいくことです。

細胞は普通、自分がおかしな状態になると自殺する機能があるんですが(自殺せよという指令がくると言われている)、それがなんらかの原因で指令が出ず、もしくは指令に従わず、アポトーシスしないまま壊れた細胞が増え続けるとそれががん化することがあるみたいです。

私はこれまで、がんはむしろ人間における細胞の自殺機能なのかなと思っていました。壊れた部分を自然に死に向かわせるという意味では私も生物学と共通の意識はもっていたようですが、スピリチュアルな観点から見たら「ストップ機能」のような形で働いているのかなぁと推測していました。よく「立ち止まって考える良い時期になった」とドキュメントなどでがん患者だった方が話しているのをみた影響があると思います。でも、なんだかこの考えにはスッキリしませんでした。

でも、この「アポトーシスしない細胞ががん化」というのを知り、「あ、がんは消えたくない細胞なんだ」と思いました。単にわけわからなくなっちゃった細胞なのではないのかも、と。それはすなわち、がんの気持ちになって考えてみると「オレはここに居座るぞ!まだ気が済んでない!」ってことかな、と。

「まだ気が済んでない」、さっと水に流せないことの強いエネルギーが、細胞をアポトーシスさせずに居座らせているのではないのか、と。これは、がんだけじゃなく、その他の病気にも言えるのかもしれません。
幸い、私の周りには今はがんを持っている方はいないのですが(難病患者は何人かいますけど・・・)、治療がつらいご病気の方は本当に心身ともに大変だろうなぁと心から思います。1日も早く良い治療法が見つかることを心から願っています。

私なりにエネルギー的な観点から考えると、
血液さらさら、気もさらさら。
滞らず流れている状態が良いです。
流れている、とは、来ては去ることです。生まれそして死ぬことです。
「流せないもの」はこの循環を滞らせるのでしょう。

「ストップ機能」というのもある意味間違ってはいないのかもしれません。
立ち止まって、「流せないもの」を処理しようよ!ということなのかもとも思えます。

こんな風に考えると、自分にも流せてないものないかな~と思いをめぐらせてみますが、大概心当たりはないのではないしょうか。日常的な意識化では「気にしていない」ことがほとんどでしょう。
では、心あたりがない場合はどうしたらよいのか。

救いとして考えられるのは、全てはエネルギーだということ。
感情も、運動も同じエネルギー。心あたりがなくても、怒りや悲しみを直接発散させることができなくても、別の方法でそのエネルギーを放出してあげれば良いのだと思います。
それをざっくり「エネルギーの浄化」というのでしょう。
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by mamemai | 2009-02-27 19:18 | スピリチュアルな考え事

はっぴーえんど



ちょっと前に自分のオーラの中にあった「光明」の画像を取り除いた話をしました。

同じようなものですが、「ハッピーエンド」の画像も見つけたので今取っています。

「何をやっても無駄無駄無駄!」というあきらめのようなエネルギーが私の中にはあるのですが、最近はそれと格闘していまして、あまりにもそのエネルギーが駄々っ子なので、「じゃ、あなた(つまり自分ですが)にとって無駄じゃないことって何?」とそのエネルギーにたずねてみました。

そうすると、出てくるわ出てくるわ、「幸せな結末」に関する画像が・・・!

「無駄じゃないことって何?」の答えは出てきませんよ。そのエネルギーは「私は幸せになりたいんだ!」というような波動を発し、自分(そのエネルギー)が思う「幸せ」のイメージが、バババババっとオーラの中にビカビカ光り出したんですね。


出てきた画像は大体、小さな頃アニメでみた幸せな最終回や、映画やドラマの最終回などもありました。。。


「最終回」は、そのストーリーの終わりではありますが、その多くは人生の最終的な結末まで描いているわけではないです。いわば、全部「途中」の状態です。

「家族みんなで幸せにくらしましたと・・・さ」と言ったって、その後には、父の浮気もあったかもしれないし、母が家事で疲れたかもしれないし、子供もギャルになったかもしれないし、実際の話の場合は続くんですね。

だけど、私の中には話の途中で「お・わ・り」と出る最終回の画像がオーラの中にあったので、幸せな瞬間があると「ここで終わるはず」みたいな変な気持ちが働いていたようです。

だから終わらないで続くことがおかしいと感じていたし(「時間よ止まれ」の発想)、「幸せ」に関するワンパターンな思い込みがあったようです。みんな楽しそうに笑って、全体が明るい光に包まれている・・・みたいなね(笑)

それに該当しないものは全部正しい「幸せ」じゃない!みたいな。こんなにイライラしたり、だらっと過ごしたりして、これは絶対「幸せ」じゃない!みたいな。

・・・。

取り除いています。
そうすると、いろいろなことが「あ、なんか幸せ」とか思える感じになってきています。でもまだ、「こんなささやかなことを幸せって感じちゃうなんて、負けてる気がする!」とか思っちゃう自分もいます(笑)
それはまた別の画像が光っているようですね。
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by mamemai | 2009-02-23 17:17 | エネルギーワーク

マークのセッション


マークこと、マーク・アッツィンガーさんのリーディングセッションを受けてみました。マークはアメリカのクリアサイトで先生もやっている人で、年1回日本で講義があるので来日しています。でも、1回も会ったことがなかったので、今回初対面☆

オーラ友達のYちゃんに「いろんな人のセミナーとか話を聞きに行くといいよ。だから私、マークのセッションも受けるんだ」と言われた(と思った)ので、「んじゃ、私もやってみよ。」と申し込みました。あとからYちゃんにマークのセッション申し込んだよ、と報告したら、Yちゃんはマークのイブニングセミナーのことを言っていたみたいで、個人セッションのことを話した覚えはないと言われ・・・。まじめに話を聞いていない私が悪かったんですが、ま、これも何かの縁でしょ、ということでキャンセルせずに受けてみました。


マークのセッションは、先生のと比べると、のんびりムード。でした。
レバナ先生は、割と一問一答風で、シンプルに一言で返してくるんですが、マークの場合は、回答にストーリーが結構あって、1問に対して平均15分くらいかかりました。ま、いずれも私のセッションではそうだったですが、他の人のときもそうなのかはわかりません。ご参考までに。

なので、レバナ先生の場合は、マックスで15問くらいは質問イケましたが、マークは4問くらいで、無理矢理最後にもう1問入れた・・・みたいな感じ。

これじゃあ、聞きたいことも全部きけなかったぁ~っ(泣)!

というわけではないんですね。不思議なことに。
というか、これがマークのマークたる一面なんだと思ったんですが、1問目の回答の中に、その他に用意していった11問くらいのうち9問くらいの回答が入っていたんですね・・・。残った問はどーでもいーけど時間が余ったら聞いてみよ~みたいな感じだったりするものもありつつ・・・。

なので、最初マークが回答し始めたとき「話長そう・・・。次の質問はもっとも聞きたいやつから聞かなくちゃ!」とか思って聞いていたんですが(最初はジャブ程度に軽い質問を・・・と切り出したので)、聞いているうちに「おや?この質問の回答だ」とか「あれ・・・これも聞こうと思ってたことだ」とかなっていき、回答が終わるころには「・・・もう聞くことあんまない」となってしまいました。開始後15分くらいです。
しかも、質問には入れていなかった私の「内なる疑問」までついでに解決してくれてたりして・・・(^^;

マーク、あっぱれ・・・。おぬしもなかなかやるな。(マークにはなぜか上から目線)

こんな感じのセッションもいいなぁと思いました。
今まではレバナ先生みたいに、極力シンプルに回答するように心がけていましたが(話がクドくなるタイプなので)、無駄話じゃなければ長くたっていいんだもんね。心を入れ替えよう。私らしい「スタイル」が大事ですね。

今日改めてサイトで「マークからのメッセージ」を読んでみたら、・・・わかる。まさにそのとおりのリーディングでした。どんなことを目指してリーディングするのかっていうのを念頭においておくっていうのも素敵ですよね。私もそうしよー。何にしようか考えよー。


にしても・・・、先週から今週にかけては、占星術的に見ると、これからの方向性がハッキリしてくる時期らしいですが、「これじゃっ!」というものはないものの、この2週間ほどで、何回も言われた、普段はめったに言われないことがありました。

それは、「mamemaiさんらしさって何ですか?」とか、「mamemaiさんがもっとも価値を置くことは何ですか?」とか、「mamemaiさんがもっとも大事にしていることは何ですか?」というようなことです。そんな回答がくるような質問してないのに、マークにも何度も言われました。

「自分らしく」というのは、私のサロンのキャッチコピーでもあるように、私がいつもみなさんに問いかけていることです。もちろん、自分がもっとも重要視していることだからキャッチコピーにしたわけですね。
だけど、こんなに何回も私にとっての自分らしさとか、私がもっとも大事にしていることを誰かから問われたことはありませんでした。
何回も問われ(しかも2週間内に)、ハテ、私らしさとはなんだろう・・・と考えています。
これが今年取り組むべきテーマということでしょうか。
ある意味、わかりやすく提示されました(笑)
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by mamemai | 2009-02-16 17:08 | もわわん

2009 早くもしんどい


う・・・

しんどい・・・誰か、た・・・す・・け・・・て・・・   orz ドタッ


星並びのせいでしょうか。 いや~、今週はメンタル的にしんどい週ですね~。
といっても、悪いことが起こっているってわけじゃないんです。

単に、例のあれ、手放しってやつ?
こっちが渋ってても、強制的に引っぺがされるみたいな(^^;

そういう感じで、私が「このまま、ぬくぬく居させて~♪」と思っていたものがどんどん私に「さよなら!」と言って居なくなってしまいます。
でも、なんていうんだろう、、、当人たちにとっては待ち待った旅立ちのときであったりして、私も嬉しい反面、さみしいみたいな。

石井ゆかりさんの占いでみずがめ座のところを見ていると良く書かれているんですが、みずがめ座は固着宮で、何気に変化を嫌う星座。。。みたいです。新しいことや革命を好む側面もあるので、傍から見るとそう見えないかもしれませんが、そうなんです!(実感こめて!)

何度、「時間よ、このまま止まってください!」と泣きながら懇願したことか!(⇒実話です。)
超何回もお願いしてます。今ならこのまま時間が止まるかもしれない!って(^^


こんなことを懇願するなんてことは、逆に言うと「すべては変化する」ということを最もよくわかっている星座かもしれません。私は、良きにつけ悪きにつけ、「すべては変化する」と実感してしまったときに、なんともいえない心が震える感じになります。受け容れたくない事実?だったりするのかしらね~。でも一方で、「変化すること」に感動していたりもするんですけど。フクザツなんです。


そんなこんなで今週ひとつ、オーラの中に見てはいけない画像を見つけてしまいました。私にとってはヘビーだったなぁ・・・。見つけてもしばらくは手をつけられずに、「いや、これは画像じゃない!」なんて言ったりして(^^; 画像だってわかっているのにねぇ。最初チビチビ、徐々に勢いづいて、エネルギー一本背負いでドリャーっと手放しました。まだ完全ではないですが(投げたあとにまだ相手の裾を持っているイメージ・・・)


何かというと、私の中の「光明」のイメージのようなもの、っていうのかしら。ゴールのイメージというのかしら。そういうもの。要するに、私は、こうやって瞑想したり、ある種霊的な修行の最果てには、特別な安楽地があると思っていたわけです。それを目指していたんですね。心の平安とかさ。喜び溢れる生活、とかさ。

でも、そんなもの、所詮は私や、かつての人々が創り上げたイメージにすぎないって思っちゃったわけですね。そんなところないし、“私が思い描いていた”そんな状態はたぶんナイんです。

あー、これはなかなか手放せなかったな~。ほんと。認めたくなかったよ~。だって、おそらく過去の何生においても、この光明、ある種の幻想を目指してがんばってきたんだろうから・・・。


かといって、見つけちゃった以上、捨てないでおいとけなかったんだよね~。しばらく見て見ぬフリしてみたけど。やっぱりもう以前のような関係には戻れなかった(ってナンのこっちゃ!)

このイメージを捨てると、自分のエネルギーがかなしーい感じになるんです。じゃ、捨てなくていいのかなと思っても、そうじゃない。たぶん。あまりにも長く一緒にいすぎて「自分」と勘違いしちゃってるんですね。アイデンティティが欠落するような思いになるんです。でも、んなわけないので、手放してます。もうこうなったら、目を瞑ってドリャーッと投げるしかない。一本背負いじゃー!(しつこい)

捨てるとどうなるか。
呆然と立ち尽くし、空っぽになるのか。

どうやらそうじゃないみたいです。

チルチルミチルの青い鳥は、自分の家にいた!
ルンルンの探していた幸せの花は、家の庭に生えていた!

みたいな。そういうことになりそうです。
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by mamemai | 2009-02-13 14:16 | もわわん

コーチングのお勉強


コーチングのワークショップに参加してきました。

いつもは20名以上参加があって行われるワークショップだったそうですが、今回は13名程度と開催ギリギリの人数。よって、より濃密なワークショップだったと思います。

濃密・・・というか、なんか偏りがあった・・・。他の回に出てないのでなんとも言えない部分もありますが、どういう偏りがあったかというと、「愛を求めている人たち」の集まりだったように感じました。

コーチングのワークショップなのに、最後には涙涙の感動で終わる・・・みたいな。

私もみんなのそのエネルギーがぐわっと来て泣きそうになりました。自分のエネルギーじゃないな、と思ったので、取り除こうと思ってがんばりましたが、あっけなく巻き込まれました(^^; ナハ。

今回のコーチングのワークショップでは、技術的な面を学んだ以上に、「自分らしくあること」を練習しました。図らずもそういうワークショップでした。
また、現場では、クリアサイトにいるとき以上にスピリチュアルにオープンな状態でいることになりました。これまた図らずも。

ずーっとそういう状態でいることを求められた(ように感じた)ので、2.5日間ずっとそうしていたのですが、こんなに長い間、研ぎ澄ました状態でいて、かつ、その状態で得たものをアウトプットし続けたことはなかったんですが、一言でいうと、とっても楽な生活でした。

感じたことだけしゃべるって楽です。頭は一切使わなくていいんです。
逆説的に、普段はそうじゃなかったんだと実感しました。
なるべくこの状態をキープし続けようと思いました。

そして、みんなからの愛が溢れんばかりで・・・。なんかよくわかりませんが、とにかく何かをたくさんもらいました。

ギブとテイクを切り離したら、なんだかとてつもなくテイクが多くやってきている・・・そんな感じがして。ビックリ。これはこれはありがとうございます~って感じ。


・・・しかし、直感に超開いた状態でずっといたので、上と下のバランスがちょっと今崩れてしまって、意識がはっきりしません。ポヤン・・・とすぐしちゃいます。オイッ!戻って来い!アストラル体!

バランスが取れるまでしばし安静が必要じゃ!
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by mamemai | 2009-02-09 18:25 | もわわん

たんぱく質 LOVE



「これ、超おもしろいよ!」とこの「はじめて出会う細胞の分子生物学」をパラパラと友人に見せると、大概「ひゃ~、私絶対そんなの読めない~。」と言います。

これを「食わず嫌い」というのでしょう。

確かに、パラパラ~っとやると、目立つのはたんぱく質とかDNAとかの配列図だったり、CHCOOなんとかとかの化学記号だったりするので、「無理」と思うのでしょう。

でも、その実、中身はといえば、推理小説のようなもの!おもしろくて、興奮のあまり鼻血出そうです。


今はたんぱく質の働きのところを読んでいるのですが、ま、結局結論からいうと「まだ、たんぱく質について細かいことよくわかってない」ということです。

ヒモ理論(M理論)にしても、結局まだ「たぶん、そんな感じ」という域でしかないため・・・、おもしろんだよね~。私でもいろいろ推察して仮説を立てられるわけですから。まだ結論は出ていないんでね。


この本を読んでいて、鼻血が出そうに興奮したポイントはやっぱりたんぱく質について書かれていた部分で、概略していうと、

「たんぱく質は生まれる前から働く場所と、そこで何をするかが決められている」

というところや、

「たんぱく質がそもそもの目的と違う形になってしまったとき、そのたんぱく質は世話役によって修正されるか、もうそれ以上そこで発達しないようにエネルギーを制限されるか、一旦消されて再度作りなおされる」

というところなどなど・・・。

萌えっ!

「たんぱく質は生まれる前から働く場所と、そこで何をするかが決められている」って!
たんぱく質が生まれる前から運命決まってるのに、私たちが決まってないはずないよね!(ワクワク)

ちなみに、間違った場所へ行くことはできないんです!もし間違って行っちゃっても戻されちゃうんですよ!「あんたはココだよ!」って。

・・・萌えるなぁ~。

役割なく生まれてくるたんぱく質はないんです!全部必ず重要な役割をもって生まれ、そして働き、終えたら死ぬんです。

マジっすか!


・・・そんな感じで今は「たんぱく質」ってことになっていますが、たんぱく質を構成しているのはアミノ酸ですし、たぶんそれも何かによって作られている・・・。ほぼ無限です。見えないだけで。アミノ酸だって、ちゃんと重要な役割をもっているわけですからね。


きゃ~、ドキドキする~。
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by mamemai | 2009-02-05 19:19 | もわわん

give & take を やめピ



最近考え方を変えたことにより、非常に事態が好転したことがあります。

事の発端は先月でした。
とあるリーダーにリーディングしてもらっているときに、
私が自分の外部から欲しているものは何か、という問いに対して、
「愛が欲しいと思っています」
とリーダーは教えてくれました。

自分では「誉めて欲しいと思っている」とか例によって「よくやったと言って欲しい」とかそういうのが返ってくるのかな~と思っていたので、「愛」とは話がでかいな~と思ったりしました。直江かよ。直江!(⇒大河ドラマのことです)
かつ、言われたときに反射的に確か「え?愛はもらうものじゃないのに?」というようなことを言ったりしちゃってました。私、どんだけ!(⇒もう古いですか?)頭と心がバラバラですなぁ。ウムウム。よくあるよくある。

「愛はもらうものじゃないのに」

今となっては、どういう意味合いで言ったのかあやふやですが、確かあのときは、「愛はもらうものじゃなくて、与えるもの」という感覚だったと思います。

ということで、「愛は外からもらうもの」という感覚をちょっと捨ててみました。すると、先日のTHERAPYに掲載していたレバナ先生のエッセイに「愛は自分の内側にあるのです。みずからの内なる愛を見いだすことができれば、愛はあなたと共にあります。」と書かれていました。。。

これを読んで・・・、ということは、「愛はあげるものでもなさそう」となぜか私は思いました。

もしや、もらったりあげたりするものじゃないのかも。。。と。


「もらった」とか「あげた」っていうのは、外側から見た意見じゃない?第3者や相手が見て、そのように評価したことじゃないかと思いました。うまくいえないけど、誰かが私の行為を見て「あげた」とか「もらった」と感じたときは、本人の中では単に、「何かをしただけ」ということでしかないんじゃないかな~と思いました。つまり、そこに意味はなく、単に「行為そのもの」というか・・・。

この辺の感覚は言葉で伝えるのは幾分難しいな。でもそんな感じにピピッと来たわけです。

ということで、関連して「ギブ&テイク」の考えを捨てました。
「あげる」とか「もらう」とかの外的感覚が、あたかも自分の内的事実のように居座っていたため、「もらってないからあげない」とか、「あげたから自分も欲しい」とか、そういう感覚になっていたなぁと思いました。

この「ギブ&テイク」の考えをちょっと捨てたら、自分の行動における制限が解けました。いろいろ、どんどん、やっちゃってます。楽です。見返りを求めない行動って。
どんだけ見返りを求めてたことか!

逆に何かもらったりすることが多くなった気がします。
見返りを求めてないせいか、もらうことが自然にできるようになったからそう感じるのかな。前は、もらっていても、プラスマイナスで0カウントになってた分があったりして(^^;

自分がやりたいからやっただけなのに、ありがとうと言われるのは不思議です。

今は、こんな感覚になっています。
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by mamemai | 2009-02-02 17:54 | もわわん

とりあえず、ま、一杯。



またひとつ、年をとってしまった・・・

それはさておき、この時期恒例?の、内面浄化が起こっていると思われ・・・。
おかげさまで、またもや、スピリチュアルウンザリ病に。

スピリチュアルなことを目にするとウンザリしてゲーッって気分になります。自分のことは棚に上げ。

なんでしょうね。なんで、ときどき、スピリチュアルウンザリ病になるんでしょうか。根がスピリチュアルじゃないんでしょうか。肉食べ過ぎでしょうか?瞑想が足りないでしょうか。ハートが閉じてるでしょうか。

・・・ッケッ!

なんでぇなんでぇ!そんなの関係ねーっつーの。(⇒ナニゲに古い)

別にクサクサしていませんので大丈夫です。

ただなんか、時々本当に、きれいごとを受け付けなくなるときがあって。
でも自分としては、ある種のその「きれいごと」が本当の部分もあるということもわかっているわけで。

かといって、昔みたいに、全部きれいだと人間味がねぇぜ!という風にも思わない。どちらかというと、「まあまあ、そんなことどっちでもいいじゃん!とりあえず飲もうよ!」という感じ。

エネルギーがお祭りムードなのでしょうか。
細かい話とかめどくさそーなクドクドした話は、今は受け付けません。
いつもは人一倍自分がしてるのにね〜。クドクドと。
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by mamemai | 2009-02-01 17:43 | もわわん