花と私とエネルギー


私が感じたことをメモ書きするスピリチュアル日記です。
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1年を振り返るような振り返らないような


さてさて、いよいよやるか。振り返りを。。。

aromahealingさんに見習い、自分の今年の最初のブログを開けて、今年の目標を再確認してみた。

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今年の目標は、
昨年きめた標語「Truth&Love」を筆頭に、
①「自分のあるがまま(の気持ち、姿)に誠実であること」
②女性であることを認め、楽しむこと
③自分に集中する
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目標はさておき、私、この1年でまた変わったな、と思った。なんか、今年の初めに自分が書いていた文章を見て恐くなった。というか、結構恐いこと書いているな〜、と感じた。内容が、というより、ガラスのように繊細だけど、割れた破片で刺してくるみたいな・・・。弱いやつの強気みたいな・・・。まあ・・・、それなりにがんばっていたのだなと思った。

ということで、目標だけれど、「Truth&Love」。真実と愛、これは、目標というか私が忘れてはいけないこと、として、長く標語としておいておくことにした。目標ってものでもないしね。

①については、年末にきてその本当の意味に少し近づいた気がした今日この頃。数多くの条件付けや、制限にがんじがらめになっている自分を再発見できただけでもよかったなと思う。

②、年初から始めたフラの力により、だいぶ変化してきていたとはいえ、11月にスタートしたリバランシングセッションでは、「オッサンかと思った」と言われ、「全く進歩してないんちゃう!?」と一瞬希望を失いかけた・・・。だけど、ネイルしてみたり、髪の毛をトリートメントしてみたり、湯船につかってからだを温めたりして、ここにきて少し成長したとみえる!もうパプアニューギニアのシャーマンとは言わせないわよ!

③、、、できたのかな〜。でも他の人のこととか気になったとしても、それを瞑想的に捉えることができていたからいいなじゃいかと思うな。

なんだか、1年で自分が変わってしまった部分が結構あるようで、今年の初めにたてた目標だけど、半分どうでもよいというか。。。ええんか!それで!

来年の方向性を考えている最近、オーラソーマのセッションでファシリテーターのみきさんが言っていた言葉が印象深い。

「植物は私たちが成長するのを待ってくれている存在とも言われています。植物はとっくに先へ行ってもいいほど発達していると言われています。3次元の世界だけでなく、より高い次元でそのエネルギーを使っています。」

それを聞いて、なんだか心の奥がドキっとしたというか、そーなんだーと素直に思ったというか、一方よくわからない部分もありで・・・。

12月初めごろから、私は4次元以降の世界に思いをはせている。思えば、今年は、3次元での世界について多くを学んだ。でも、より3次元界の理解を深めるためには、4次元以降のもっと高次元の世界について知ることが必要であるとなんとなく感じていた。植物と触れ合うことで高次元への理解が深められるかもしれないなぁ、とちょっと思った。

オーラソーマのセッションで、5本目に選んだ「GO、Hug a Tree」というボトルは、自然と触れ合うボトル。自然のエネルギーと一体化するボトル。
思えば、私がクリアサイトに入るときに自分で書いた誓い(クリアサイトでは入学のときに自分の目標みたいなことを書くんです。自分がブレないように)は、「太陽や海、風、大地がありのままを受け入れるように、私も全てをありのまま受け入れ、愛し、勇気づけ、前に進む力を与えられますように」というものだった。
今回のように、ことあるごとに、この自分の気持ちを振り返る機会を与えられる。自分で書いたことであるにも関わらず、「ええこと言っとるやないか」と何度見ても、今のところは異論はない。

私は、タロットの大アルカナの21番「世界」というカードが一番好きだ。
最近、この「世界」という表現が自分を含めた周りの状況を表すのにもっともしっくりくる。「宇宙」や「自然」よりも。

2008年は、この「世界」を知り、「世界」とともにワークし、自分が「世界」であるということを体感する時なのかなぁと感じてみたり。数秘術でいえば、来年は「6」の年だからなぁ。合ってるかも。

見えそうで見えない、つかめそうでつかめきれない、かげろうのような世界。多次元を知ることが世界を深く理解するひとつの手段となりそうだ。
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by mamemai | 2007-12-30 20:16 | もわわん

同じ過ちを何度も繰り返す


自分のために、マウントフジフラワーエッセンス・フィンドホーンフラワーエッセンス・バッチフラワーエッセンスからボトルを選んで飲み始め、早・・・3本目?4本目かな?
・・・忘れた。

最初の頃はずっと、マウントフジフラワーエッセンスの「シャガ(霊的渇望)」が選ばれていたけれど、ここにきてシャガがはずれ、新しい感じのボトルも選ばれるようになってきました。

今回選んだボトルの中では、「なんでやねん!」と内心ちょっとムカつくものがありました。それは、バッチの「チェストナットバッド」。

これは、「過去の経験をいかすことができず、何度も同じ過ちを繰り返す。」「学習能力なし」というような状態があるときに選ばれるエッセンスです。

何これ!どういうこと!と、自分で選んでおきながらこのボトルについては、ご立腹気味の私。腹がたつことに原因があるのかもしれない、とは思いつつ、「でも、そんなの関係ねぇ」とこのボトルについては、飲んではいるものの、なかったことにしてチョイ無視していました。

でも、今日、ヒマな時間のお遊びで久々にネットのオーラソーマの無料診断をやってみたところ、また同じようなことが書かれていてビックリしました。
それは、「今ここ」のボトルで(よりによって「今ここ」のボトルなわけだけど)、「エッセネボトルII / 蓮の中の宝石 B071」というもの。

いろいろな意味が書いてあるけれど、その中の「2本目めに選んだとき」の説明を読んでみると、「・・・自分の内側を見つめようとせず、いつでも自分が試練を受けているような気がします。学習せずに、同じ間違いを何度も繰り返します。」繰り返します・・・繰り返します・・・繰り返します・・・繰り返・・・(エコーして聞こえている)

実際に私が選んだのは3本目として選んでいるから、気にしなくていいといえばいいのでしょうが、明らかにチェストナットバッドと同じようなことを言っているので、無視しずらくなりました。

・・・ま~、ここにきて、またもやどうしても見たくなかった内面のドロドロした部分と向き合うときが来たと・・・そゆことかな。・・・ヘイヘイ、わかりましたよ。向き合いますよ。向き合えばいいんでしょ!

ボトルはうそをつかない・・・んだな・・・と再確認した今日この頃である。

余談ですが、こういうプチ診断とか、いろいろなものをやりすぎると混乱する可能性もあるけど、お楽しみ的にはおもしろいし、なんとなく先がぼやけて見えないときにやると励みになったりしますよね。

今回のこのオーラソーマのプチ診断で、未来をあらわす4本目のボトルに選んだ「セントジャーメイン」の説明に書かれていたことが、私にとってのちょっとしたヒントになりました。「この人がいるだけで、状況はポジティブな方向に向かいます。」これだな。これ。今求めているもの。
にしても、このボトルの特質は、「男性性と女性性を統合します。」だって!今がんばってるとこ!ちょっと待ってて!やってるから!未来には統合されるってことかぁ~と励みになりました。

ちなみにチャレンジボトルは、大天使ザドキエルというボトルでした。「自分の内面に横たわるものを受け入れることが難しいと感じています。」だって・・・。さっきの「今ここ」のボトルで同じ間違いを繰り返す原因になっていることだよ・・・。向き合う向き合う。向き合えばいいんでしょ。(またもやヤケクソ気味)

なんだか今回のプチ診断は、ずいぶん役立ったな!ありがたいありがたい!

みなさんも、なんとなく行き詰まり感があるときや、単にヒマなときにもやってみてはいかがでしょうか?結構おもしろかったです。

☆私がやったプチ診断はこれ↓
オーラソーマ・コンサルテーション無料リーディング
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by mamemai | 2007-12-20 15:26 | スピリチュアルな考え事

結局、誉められたかったんです!



「千尋の元気が出るように、まじないを込めて作ったんだ。さあ、お食べ。」
と、ハクが差し出したおむすびを食べた千尋は、箍が外れた塞を切ったように泣き出した。ハクは千尋慰めるように言った。
「つらかったろう。さあ、お食べ。」



これは、「千と千尋の神隠し」の中のワンシーンで、私がいつも千尋につられて涙してしまうシーンです。

いつもこのシーンでホロリと泣いてしまうので、「私も歳をとったものだわね」と思っていましたが、実はそうではなかったのかもしれません。

というのは、最近、どうしようもないほどの激しい怒りが心の中を占拠していて、それを捨てるのに手間取っていたのですが、少しエネルギーに動きが出てきたようで、少し違ったものが見えてきたからです。

それは「結局私は誰からも慰めてもらえなかった」もしくは「誉めてもらえなかった」という感情です。

この感情が湧き上がってきたとき、妙な納得感がありました。
というのは、私は人を誉めるのが苦手だからです。というか、めったなことでは誉めません。慰めません。どうやって慰めたらいいのかもよくわからないし、それどころかややもしたら、「その程度でメソメソすんじゃねぇっ!」と一蹴してしまうこともあります。

ずっと、「これは江戸っ子気質だから仕方ない」と思っていましたが、そうではないですね・・・。いつだって自分が誉めて欲しかったし、慰めて欲しかったんだと思いました。

なるほどねぇ。これを突破すれば、悲嘆にくれている人を心から慰めたりすることができるようになるかもしれません!希望を胸にがんばります。

時に、私の周りには、「その程度でメソメソすんじゃねぇっ!」という考えの友人が結構いるんですが、つまり類は友を呼ぶで、私と似たような心理があるのでしょうかね。
だとしたら、かわいそうですね。早いところ心の置き所が見つけられるといいのにな。
この考えを捨てない限り、一生誰からも誉められないでしょうし、慰めてもらうこともないでしょうから。言い方を変えると、たとえ誰かから誉められたり慰められたりしても、一生心が満足することはないでしょうから。
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by mamemai | 2007-12-13 18:55 | スピリチュアルな考え事

私たちはエネルギー


パウル・クレーの「忘れっぽい天使」が表紙に描かれたこの「ヒトはなぜ病気になるのか」という本は、一見するとスピリチュアルっぽい本かな、と思いますが、そうではなく、進化生物学の本です。

最近のマイブームは宇宙と細胞なので、細胞に関することがざっくりわかる本がないかな~と思っていたところ、細胞とあんまり関係ないけれど買ってしまった本です。

進化の観点から見ると、病気についても、私たちが通常考える「病気=異常」「病気じゃない=正常」というような考えた方とは少し変わり、より環境にあった遺伝子を残すための単なる過程のようなものだ、というようなことが書かれています。(ざっくり)

ヒトだけに限らず、さまざまなものが環境に合わせて自分たちを進化させてきました。
病原菌と言われる細菌たちともうまくやっていける体を創り出したりしています。
そういうなかで、環境に合わなかったりするものは、たとえば早死にしてしまったりして次世代へその遺伝子を残せず、環境にうまくあったものは生き残り、子孫を残し、遺伝子を残していけるわけです。

印象深かったこととして残っているのは、「進化は先のことを考えて起こっているわけではない」ということ。つまり、その時その時に対応して進化していくため、結果から見ると、ときどきとんでもないめんどくさいものができあがっていたり、不都合が生じるようなものもあったりするということです。神様のような、プロデューサーのような存在がいて、全体構成を考えながら計算されつくした進化をしているわけではない、ということでした。

スピリチュアルな世界では、よく「今生の目的」などと言われますが、進化の視点から見るとそもそもそういう目的自体ナイ!みたいなイメージでしょうか。ひとつ目的のようなものがあるとすれば、「進化する」ということなのかもしれません。とはいえ、こういう人間的な視点から見れば「進化」という言葉を使いますが、それ自体が進化でもなんでもなく、ただ環境に合わせて変化しているだけ、ともいえるかもしれません。なぜなら、進化してきた私たちの体は、今の環境に都合が良くなっているだけで、急な環境変化があれば、たくましく進化してきたはずの私たちの体もあっけなく絶滅してしまうかもしれないからです。

(私はまったくの素人ですが)物理的な観点からいうと、こういった細胞や遺伝子間の変化も単なるくっついたり離れたりという素粒子やエネルギーの変化にすぎないのかもしれません。そしてあるときは大きな化学反応を起こして突然変異したりと。


「私たちはエネルギーです」と私の先生はよく言います。先生の奥深い真意まではわかりませんが、私は「私たちはエネルギー」ということは、つまり、くっついたり離れたりしながら変化していくことが私たちのすべてであり、大いなる目的というものがあるとすれば、それは変化し続けることそのものを指しているのではないのかと感じました。

「良くなるために」変化する、のでもなく、「何かのために」変化するのでもなく、ただ変化することそのもの、というふうに最近また強く感じています。
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by mamemai | 2007-12-10 15:49 | スピリチュアルな考え事

言葉について


昨日は早めの忘年会で大いに盛り上がった。記憶に一切残らないようなくだらないことを話してはゲラゲラ笑って、たいそう福を呼び込めたに違いない。

思えば最近、「言葉」というものが妙に気になっている。
人の話を聞いていたり、本を読んでいたりすると、「言葉」もしくは「文字」と、「意味」を別々に見ている(感じている)ような気がするからだ。

言霊とかいうけれど、最近は、聞いたり読んだりしているときに、そのエネルギーが見えているらしく、文字や音の持つ波動と、本来その人が言おうとしているだろう「思い」のエネルギーをそれぞれ感じているような気がする。

だからその人が言葉ずらで話していることと、言わんとしていることが少し違っているのがわかる。
これは、口では好きと言っているけど心では嫌いと思っているのがわかる、とかそういうのとは少し違って、例えば口で「風邪」と言ったのを聞いたとすると、「風邪」という文字と音は、一種の記号のように脳で「あ、風邪ね」と処理されるんだけれど、その人が「風邪」という言葉を使って表現したかった実際の状態が少しわかるような、、、

とかいうと、たいそうな透視術のような聞こえがするが、どっちかというと、言葉から意味が少し離れて来ているという認識のが近い。これは、価値や制限に対する壁の向こう側とこっち側が一緒に見えるあたりに立っているような感じだ。

以前に大学で言語学を学んでいたときのことを書いたかもしれないが、「AはBである」ということ習い、すごく感動した。つまり、私が頭のなかで考えているAということを言葉に出したらそれはもうBというものになっていて、違うものになってしまっている、ということだ。

言葉という記号を使用して人類は進化してきた。言葉というものが生まれなければここまで文明は発展しなかったかもしれない。それは生活を便利にするために生まれた単なる記号にすぎなかったはずなのに、いつのまにか記号に考えを縛られるようになってしまった。記号で表される前にあったものを忘れてしまった。

これこそまさに上手く伝えることはできないけれど、言葉という制限を超えたときより大きな意味を知ることができるのだと感じはじめている。
言葉という制限を超えたとき、自分の行動の制限にも何か変化が起きるような気がする。
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by mamemai | 2007-12-07 23:25 | スピリチュアルな考え事