花と私とエネルギー


私が感じたことをメモ書きするスピリチュアル日記です。
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<   2007年 07月 ( 6 )   > この月の画像一覧


アクセサリーとか創り始めたりして♪

f0017070_22262047.jpg女性性を自分のものにしてくると、人はチマチマしたことをやりたくなるのだろうか・・・。などと、思いつつ、チマチマした作業のアクセ作りを始めてみたり♪

写真は記念すべき私の一作目。でも全部セットになっていて組み立てるだけだったので、デザインとかはしてないけれど。でも結構ちゃんとできちゃって自分でもびっくりした。

フラの腰フリのおかげか、毎月毎月「別人かと思った」と言われてしまう私だが、このチマチマを始めたとなると相当女性らしさも板について来たらしいよ。ほんと。そう思う。

だって、リーディングの学校に通い始めた頃、アクセサリー作りをしていた女性に対して「あ〜、私そういうチマチマしたこと、ほんとできないんだよね〜」と、キッパリ拒絶表明してたんだから。
人って変わるわね。ほんと。変わることがお嫌いな私も、実際問題変わってしまうわけだ。

しばらくチマチマ制作の練習をしていこう♪また楽しいことが増えちゃった☆
こんなに楽しいことが増えちゃって毎日やることがいっぱいで、さぞかし充実している日々なんだろうけれど、心はいまいち曇り空。なぜじゃろか。

ふ〜む。ふむ〜。(⇒考えている)

心とはウラハラにおだやかな日々が続いている。


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by mamemai | 2007-07-31 22:39 | もわわん

無言のとき

なんだかよくわからないけれど、長いこと書けなかった。
ネタ的には豊富な日々だったけれど、言葉にしようとするとどれも、ホロホロと崩れ落ちて違うものになってしまい、言葉にできなかった。
喉のチャクラの成長期だったのかしら。

とにかく苦悩の日々だったハートチャクラの成長期をようやく抜けたような。気がする。今度こそ。

7月から始まったマウントフジエッセンスのプロ講座で毎週毎週セレクトしたエッセンスを飲んでいるわけだが、2週目までは本当に飲んでも飲んでも苦悩の日々で、つくづく自分というもののあり方を考えさせられた。これこそまさにハートチャクラの成長って感じだった。私とは何か、人間とは何なのか、いったい何のためにいるのか、などなど。

苦悩の中で私が感じた「人間」というものとは、「愛を運ぶことができるもの」だった。
人間はその存在自体がその他のものと同じように愛であるが、何がその他のものと違うかというと、自分で動いて愛を振りまいていけるということ。太陽や、海や大地、植物、お魚、大地の動物、それぞれの存在がそれぞれのエネルギーを持っている。それぞれのやり方で宇宙と共鳴している。人間もその存在自体で宇宙と共鳴しているし、あちこちにその愛を持っていき、増やしてあげたりすることができるのが特徴だと思う。

「存在自体が愛」の「愛」とは何かというと私は宇宙エネルギーそのものであると思う。人間の言葉ではそれを愛と呼んでいるのだろう。

f0017070_2342922.jpg「生物と無生物のあいだ」、この本はアマゾンでランキングの上位にあったのと、なんとなくタイトルにも惹かれたので読んでみた。分子生物学の観点から書かれている「生命とは何か」ということのお話だが、とっても興味深く読み進めることができた。このおもしろさは、理論物理学の超ヒモ理論について知ったときや、量子力学や相対性理論についての理解が深まったときと似ている。私はこういった科学的なことの神秘に触れるのが好きだ。

この本によると、私たちの体にある細胞は、基本的に常に新しいものに置き換わっている。3日前の胃袋と今日の胃袋は全く同じに見えてもそれを構成している細胞は全く新しいものに入れ替わっているというイメージだ。私たちは見かけ上は毎日同じだけれど、本当は昨日と今日とでは違ったものになっているのだ。爪を思い出せばわかる。爪は見かけ上、ずーっと同じように見えるが、本当はのびたものは切られ、指の上にあるものは常に新しい爪だ。休むことなく新しいものに生まれ変わっている。
では私を私と思わせているのはなんだろう。あなたに私を私と思わせているのは何だろう。目で見えているものだろうか。記憶だろうか。それとも感覚だろうか。

昔こんな話をしたことがある。脳の移植をして、見た目はいつもの私だが、中身はまったく別の人間になっていたとしたら、それでもみんなは私を私として扱うのだろうか。それとも、あれは全く別人だと割り切るのだろうか。いったい何がどうなったら私は私であり、私は私でなくなるのか。

こういうことに思いを巡らせると、心がドキドキして、興奮する。ワクワクする反面、恐ろしいような気もする。

この本でもうひとつ興味深かったのは、「エントロピーの法則」というものだ。私は、超文系のため、この「エントロピー」という言葉を聞いたのはこの本で2回目だった。1回目は、私のボーイフレンドにダーウィンの進化論ブームが来ていたときに「mamemaiちゃん、これだよ、これ!エントロピー!」と、何か発見したことをいろいろ説明してくれたとき。でも、言葉だけは覚えていたけれど、それ自体が何なのか、興味すらわかなかった。

でもエントロピーとは大変興味深いものだった。超文系の私がわかりやすく説明すると、エントロピー増大の法則とは、物事は次第に無秩序へ向かっていく、というもので、エントロピー最大になったものは、変化が起こらなくなるので終わり、終了、THE END、というものだ。イメージすると、水の入った桶の隅っこからお湯を入れると、そのあったかいお湯がだんだん桶全体へ広がっていき、そして最後には全体がぬるいお湯になってそれ以上変化しなくなる。それがエントロピー最大。でも、実際には、そのお湯がさめたりするので変化は続いていくけれど。
エントロピー最大の状態というのは、ここにある物体Aとそこにある物体Bの場所が入れ替わったとしても、それ自体に何も変化がないという状態だ。最大になる以前であれば、Aが冷たくてBがあったかかったら、AとBの場所が変わればその周辺で変化が起こるけれど、どこももう同じ状態になっていれば、AとBが変わったところでどうともならない、っちゅうわけだ。

・・・わかりにくい。しかもこの説明じゃ間違っているかもしれない・・・。

とにかく、人間や宇宙はエントロピー最大に向かって変化し続けているともいえるし、エントロピー最大にならないように常に新しい変化が起こっているともいえる。

ものごとにこだわりそこにとどまろうとするということは、このエントロピーの法則に逆らうことであるし、人間自体の生命の営み自体にもそっていない。と感じる。昨日の自分と今日の自分ではもう物質的に違うのに、まだおとといの状態にとどまろうとしているのだから。どんどんと無秩序な状態へ向かっていこうとしているのに、既に定まった状態のままにとどまろうとするのだから。

変化する、ということは本質だと感じる。エネルギーは変化する。それが生だ。
変化するエネルギーの中でただひとつ変化しないもの、それは変化し続けるということ。
右が左で左は右だ!のような一見矛盾に感じるような、不思議な世界に今私はいる。
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by mamemai | 2007-07-29 00:28 | スピリチュアルな考え事


私はナニゲに文章を書くのが好きだ。
ただものすごくせっかちであるため、説明をはしょるので、長文はあんまり向かない様子。

ということで、曖昧だけど、なんとなく雰囲気を伝えるのに適していると私が思う詩を自分の表現についての許可のレベルをあげるために書き始めている。

サロンのサイトからリンクしているブログの方では何個か書いていたんだけど、先日AOLブログからエキブロに引っ越してきました。

Beyond the Universe

ぽちぽち書いている詩は感じたエネルギーを表現したもの。
なのであんまり衝撃的にエネルギーに変化がない場合などはしばらく詩はかけなかったりする。(作家風発言)
なので引っ越しを機に、詩だけではなくていろいろ体験してきたセラピーの感想だったり、自分の行っているセッションの自画自賛などを書いていこうと思っているところ。

もともとこちらのブログは、秘密のブログとしてスタートし、「私」という人を生で知らない人たちが何のプロフィールもなく文章だけを通じて私を見たときに、どんな私ができあがるのだろう、想像されるのだろう、と始めたものだ。生の私から、私自身が解放されたかったため、知っている人にはこのブログのことは一切教えず、一人でこっそりやっていたのだ。

しかし、今ではサロンを始めてからブログで知り合った方々と生でお会いすることもあったり、類は友を呼ぶで、全くお知らせしていないにも関わらず知り合いがこのブログを発見していたりで、結局は生と生じゃないのの混合で、ええーい!もうどっちでもええわい!状態になっている。

まあ、生で私のことを知っていてもいなくても、文章から受ける私の印象は生であった場合の印象とあまり変わらないということもわかったし(笑)どうやったって、この私という存在は着飾れないし、どうやらこの私は本当らしい。

とはいえ、このブログは日々のスピリチュアルな心の葛藤や苦悩を綴っているので(笑)、本当はお客様には見てほしくない!ということで、こちらからはサロンのブログにリンクをはりますが、あちらからは一切この葛藤ブログへはリンクをはらないので一方通行です。

葛藤や苦悩、ときにはスピリチュアル批判まで飛び出すこのブログを見ても尚もセッションを受けてみる気になる方はどうぞまたいらしてくださいね♪これはこれで人間味があっていいでしょう。



BGM Kamahiwa: The Keali'i Reichel Collection
 The Road That Never Ends
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by mamemai | 2007-07-08 01:45 | もわわん

福の神がやってきた

最近何かと豊かさについてが課題の私であるけれど、このところちょっぴりお得になることが多くなってきた。ケンさんのエッセンスのおかげかしら。それもある。そして日夜豊かさについてワークしている賜物でもあろう。ワッハッハ。(急にえらそう)

何がちょっぴりお得だったかというと、昨日仕事でブックフェアというのに初めて行ったんだけど、今回のブックフェアではたまたま「人文・自然科学本特集」みたいなのがあって(いつもあるのかもしれないけど)、そこをブラーっと見てたら、いつも買おうと思ってはあきらめていた「タロット大全」がひょっこりおいてあった。

「タロット大全」といえば分厚く、そして4,725円もするわけだが、ブックフェアではなんと20%OFF!買わない、という選択肢もあるゆえ、OFFであるにも関わらずウダウダしてたんだけど、結局買っちゃった♪いいんだよ、お得お得。本は値引きって古本以外はないからね。基本的に。

「得した(のか)な~♪」などと思ってそのまま帰ればよかったのに、ほかにもあれこれ「わ~、お得お得」と買ってしまったので結局トータルで冷静に考えると損かもしれない。でも気分はお得だからいいじゃないか!豊かさってこういうことなんだろうか。(どういうこと!?)

でもなんとなく、、、いい風が吹いているような気がするのだった。
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by mamemai | 2007-07-06 16:09 | もわわん

わたしの気持ち


わたしはぁ。。。このところよく思うのだ。

世の中のスピリチュアルなセラピストたちが言っていることはたぶん本当だけど、でももっと違うこともあるはずだって。

漠然とした表現だけど、私が何について言っているかというと、「再体験する」ということについてだ。ほかにもいろいろあるけど、一番ひっかかるのはこれ。

すっきり楽に思い通りに生きたいなら、自分の中に貯め込んでいるものを手放していってクリアになろう、ここまではいいよね。

じゃあどうやって手放すかって、そのときのことを再体験して解放する、みたいなことをよくみんな言うし、本などにも書いてあるんだけど、さて、そんなことしたい人いる?

貯め込んでいるのはおそらくつらかったり苦しかったり悲しかったりすることだろうけど、それを敢えてまた再体験したいと思うか? マゾか?
そしてセラピストはサドなのか?

私みたいに(?)、マゾなクライアントだったら、「うっひょ〜、きたぜきたぜあのときの気持ちが〜!」と過去の暗い記憶がよみがえって来ても楽しんで対応できるかもしれないけど、ふつーは、「どうしてそんなことまたやらなきゃいけないの?」と思わないのだろうか。自分が変わるためなら、つらいことでもがまんする意気込みなんだろうか。

私が教わったテクニックを使うと、再体験せずに解放できるし、グラウンディングしてセンタリングしていれば、古い感情がわき上がって来ても、それはまるで滝の内側から滝の流れを見ているようなもので、自分の今の感情にはあんまり関わってこない。つまり思い出すけど、再体験はしないわけだ。それともこのことを再体験って言ってるのかしら?みんな・・・。

でもお客様は私の習ったテクニックを使えないわけだし、どうやったらもっと気軽に手放すことができるのかといろいろ考えちゃうなぁ。

私は、何かをがまんしたりがんばらなければ、何かが実現しないなんていう考えには同意できないなぁ。それってみんなもおかしいと思うでしょ。でも、世の中のセラピー自体がそうなってしまっているんじゃないかって思うことがある。感情を解放してナンボみたいな。手放してナンボみたいな。

がまんもがんばることもせずに、きら〜くにたの〜しく変化していきたいよね。
そういう考え方は私は私の先生ととっても合っていると思う。先生のことまったく知らないで入った学校だったけど。
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by mamemai | 2007-07-04 23:48 | スピリチュアルな考え事

お伊勢参り

f0017070_22471698.jpg内宮の木を下から撮ったところ⇒

この土日で、お伊勢参りに行って来た。熊野には去年行ったんだけど、伊勢神宮は一度も行ったことがなくて、念願・・・というところかしら。伊勢神宮も去年から「行きたいね〜」と友人と行っていたのだが、結局今まで行けず、ふいに先日「お!今なら行けるジャーン」ということで急遽行ってみた。

急遽行ってみたわりには、結構いいタイミングで、6/30は夏越しの祓で大祓の儀式が内宮で行われ、その模様を見学できたし、7/1は朔日参りといって夜明け前から先月の無事のお礼と、今月もよろしくーという挨拶にお参りする日らしく(毎月1日)、そのため私も7時前頃に内宮に行ったんだけど、そしたらちょうど白い馬が本宮をお参りするところでパカパカ歩いているのを見学できた。
ラッキーだった。

しかし、今回はとにかく歩かなきゃいけない神宮参りで、一応バスはあるんだけど、なんだかよくわからないが結構炎天下の中を歩いて移動するハメになることが多かった。熊野でもそうだったため、これは絶対過去世の何かがそうさせてるな!と、ふと思ったのだった。

一応、猿田彦⇒外宮⇒内宮⇒月読宮とまわり時間があったので倭姫宮も行ってみた。

やっぱすごかたね。伊勢神宮はただモノじゃないね。この鈍い私でも、最初の猿田彦からエネルギーをビンビン感じたよ〜。というかあの伊勢神宮のあたりは磁場がおかしいんだよたぶん。
お宮があるところは大体磁場がすごいことになってる。特に外宮とか普通に歩いているのに、磁場の階段上っているみたいに、本宮に近づいていくごとにエネルギーがどんどん変わっておもしろかった。一緒にいった人は、エネルギーが強すぎて休み休みじゃないと進めなかったもん。mamemaiは多少鈍いのか?、あるいは、ちゃんとグラウンディングしてセンタリングしていたため、大丈夫だったのか、気分が悪くなったりせず単におもしろいだけだったけど。

内宮はエネルギーはすごいけど、外宮ほど喧嘩ごしじゃないエネルギーだったのでゆったりできた。お参りしたときはなんだか「やっとこれました」という気持ちになって涙が出そうになったな〜。絶対過去世出て来てたな。でもこれでカルマ1個解消だよ。きっと。途中で行き倒れてたんだよ。前回は。熊野でそういう気分になったもん。行き倒れそうな気分に。(単に古道歩くのがつらかっただけ?)

伊勢に行ったことない方は是非オススメします。
でも弱っているときにいくと、ほんとエネルギーで胸焼け起こすかもしれないので気をつけてちょ♪
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by mamemai | 2007-07-02 23:05 | もわわん