最近細々と始めたことがあります。
それは、例えば、
水瓶座であること
とか
ヌメロロジーでみた私の数が背負っているもの
とか
血液型
とか
そういうもので分析して得た「私」像を手放すことです。
苦労して調べ上げた「私」ですが、そろそろそれともサヨナラするころなのかな~と。
なぜこんな風に思ったかというと、自分を知るために調べた自分でしたが、調べ上げた結果に自分が縛られ始めていると感じたのがきっかけでした。
気が付いたら縛られちゃってた!みたいな感じだったので、全部捨てることにして、今ボチボチ捨てていっています。
捨てるとどうなっちゃうのかわかりませんが、幾分自由が訪れるのかもしれませんし、またしばらくしたら縛りたくなるのかもしれないし、捨てたつもりでも縛りは取れないのかもしれません。
でも型に嵌りたくないし、ちょっと窮屈でした。
なんだか可能性を狭められている感じがしました。
一方、「出た結果」にものすごい執着している自分もいました。
例えば、あなたは水瓶座じゃなくてホントは牡牛座なの、とか言われたら、なんと悲しいことか。牡牛座がイヤだ!とかそういうことじゃなくて、私は水瓶座である自分に相当執着しているんです。大のお気に入りです。
でもそれって、ちょっとコワいな。と思いました。
自分を見るときに、魂やスピリットを見ないで、表出された細々した結果を見ているような気がしました。
一種の見方の癖ですね。
これを機会に治そうと思います。